森の集い秋 泉州・熊取


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2016.4.4
開催日は6月4日(土)・5日(日)の2日間、会場は「奈良県/春日野園地 及び 春日野原始林」に決まりました。
2016.3.11
2016年晩春、再びそしておそらく最後の「森の集い」を開催します。


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「森の集い秋 泉州・熊取」のあと、ご報告ができていませんでした。
終了した翌日にご挨拶の文章を書いたのですが、
なぜかそのまま掲載することができませんでした。

被災地への食料支援をキッカケとして生まれた森の集いですが、
震災から3年、その間のさまざまな取り組みを経て、
その意義や意味が変わってきています。
そのことをご報告してからでなければ
次に進むことができない、そう感じていました。

2011年3月11日の震災がおこってしまってから
私たちは計器も動力も何も持たず
夜の海に投げ出された小船のように、
成す術もありませんでした。

いままで頼りにしていた常識も、
日本が世界に誇るという技術も、
豊かだと言われていたライフスタイルも、
すべてが根本から覆されてなんの役にも立たなくなり、
どちらを向いているのか、
どこに向かっているのかすらわからない・・・。
そんな日々が続いていました。

森の集いはそのような状況から
かすかな光を求める人たちとともに
生まれたように思います。

ミクロネシアやポリネシアの人々に古くから伝わる航海術として
西洋式の海図や計器をたよりにしたナビゲーションではなく、
星や太陽、雲、星、風、波、鳥など、あらゆる自然現象を頼りに
航海する方法があると聞きました。

帆を張って風を掴み、
潮の流れを読みながら、
時に優しく、時に厳しい自然とともに
地平線の先を目指して進む船。
夜がくれば空に浮かぶ星の輝きが
自分たちの向かう方向を示してくれる・・・。

星の光は何世代も前から変わることなく輝いています。
星を頼りに進む術を知れば道に迷うことはありません。
また星の光はすべての人々に平等に降り注ぎます。
つまり誰もが、その気にさえなれば
星を読む術を得ることができる、
ということなのではないかと思います。

ただその光は周りが明るすぎると見えにくくなってしまいます。
産業革命、高度経済成長期以降、
明るく、もっと明るく、と突き進んできたことが、
私たちを星の光から遠ざけました。
そして明るすぎる光は輪郭を飛ばすほどに強くなり
その副産物として暗く深い闇を創り出してしまった。
2011年3月11日に起こった震災、そして原発事故は、
多くの人がその事実に直面する機会となったように思います。
そして今も、闇から抜け出せない人たちがたくさんいます。

今こそもう一度、星や自然を読む術が必要なのではないかと感じます。
星を見上げ、太陽、雲、星、風、波、植物、動物などと向き合いながら
そういう感覚を常に養っている人たちの協力が必要です。
農に関わる人たち、漁に関わる人たち、林や森に関わる人たち、
自然をフィールドとする人たち、伝統や文化に関わる人たち。
そんな人たちが力を合わせる必要があります。

残念なことにそのような術はすでにほとんど失われてしまっています。
かろうじてその感覚を知っている人たちも
かなりの高齢になってしまっています。
だから私たちはそういう人たちを尋ね歩き
その智慧や知識について真摯に話を聞き、
残されているさまざまな資料を読み解きながら
手探りでその方法の復活に挑むしかないのです。
これから何世代にも渡って変わることなく
私たちが進むべき道を示してくれる術を共有するために。
そしてそのために、これからの森の集いがあるのではないか、
いまそのように感じています。

そういう意味で、2013年の秋の集いの
京都大学原子炉実験所の小出裕章助教と
和歌山の自然農農家、高橋洋平くんの対談は
意味のあるものになったのではないかと感じています。

2014年、春の靱公園での森の集いの開催はありません。
次の展開として初秋ごろの開催を目指して動いています。
詳しい日程や展開などは詳細が決まり次第、
ホームページ等にて告知させていただきます。

また森の集いが発行している冊子「タネヲマク」の
第二集の準備にも取り掛かっています。
こちらもまたあらためてご報告させていただきます。

森の集い、そしてタネヲマクはさまざまな方々の協力によって
成り立っています。そのすべての方々に感謝しています。
そしてこれまでの森の集い、そしてこれからの森の集いも
どうぞよろしくお願い致します。

森の集い一同


「強くなければ生きられない、優しくなれないなら生きる価値がない」 というレイモンドチャンドラーの言葉を引用しながら、これからの時代を生きる人々へ、事実と真実を真摯に語る小出裕章氏。
その真意を、泉州・和歌山から次の世代を代表する若手農家高橋洋平との対談を通して分かち合い、
次の世代へ何を伝え何を渡していくのかを考えていきます。

■会 場:貝塚市「山手地区公民館」
     〒597-0046 大阪府泉南郡貝塚市東山7丁目10-1
■時 間:13:00-16:00 講演+対談
■参加費:カンパ制

◆当日のPDF資料のダウンロードはこちら。
  参加者の方はこちらの資料をダウンロードしてご持参ください。全4枚
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震災支援に動いたメンバーを核に、関西2府6県の土に近い暮らしを営む人たちに声をかけ、繋がりを創り、対話するためのマーケットとして2012年5月に開催された「森の集い」。震災、津波、原発事故と、未曾有の災害を前に人の繋がりや社会の方向性、自分たちの暮らしのあり方が問い直されていると感じます。
森の集いという取り組みがマーケットという枠を超えて広がりや繋がりを持ち、これからはじまる日々を力を合わせて乗り越えていくための力になっていくことを願っています。

「ムラの繋がり」

ムラ=村。森の集いは「ムラの繋がり」を創る取組みなのではないかと考えています。森の集いという取組みを通してご縁が繋がった、または繋がっていく人たちや、食や農、自然や未来に対して近い意識をもった人たちが創る「ムラ」です。

ここで言うムラの人たちは、ある特定の範囲内に暮らしているのはなく関西一円、それどころか日本中、世界中に点在して暮らしています。自然と真摯に向き合い、食・農・暮らしの未来に対して近い意識を共有することで距離を越えて緩やかに繋がり広がっています。

このムラの繋がりの中心にあるのは、特定の目的や目標、方向
性などではありません。

そのことは冊子タネヲマク初号の冒頭に引用させていただいた「それは私たち全員が共有できる物語であるはずです。それは種蒔き歌のように、人を励ます律動を持つ物語であるはずです。」という村上春樹氏の文に象徴されています。

「誰のものでもなく、誰のためでもない」

実在する村には大抵、地域の祭事を行う社と鎮守の森があります。

この社と森では、春に農作物の豊作を祈願するお祭りや、秋にはその年の収穫に感謝するお祭りなどを中心に、さまざまな地域の行事や祭事が行われます。社や鎮守の森は、村の人たちに共有されるものとして存在しています。それは「誰のものでもなく、誰のためでもないもの」であり同時に「誰のものでもあり、誰のためでもあるもの」でもありえるという稀有な性格をもっています。

すべてのものが誰かに所有されている、または所有権を主張するいまの社会は、本来あるべき人と人、人と自然との緩やかな繋がりを放棄し、個人の利益や欲求の追求に奔走していきました。
その結果として命よりも経済を優先するという、いま目の前に広がる社会があります。それは原発事故後の社会の動きを見てもあきらかです。

それに対して村に暮らす人たちはそれぞれの仕事や生業を持ち暮らしていますが、村の祭事となると個人的な都合や理由を超えて寄り合い、力を合わせながら「誰のものでもなく、誰のためでもない」ものに向かい合います。
この芯に流れるものが森の集いの芯に流れるものと重なっています。

そしてそのような行事や祭事は、村としての繋がりや絆を深めると同時に長老から若い世代へ、伝えるべきことを伝えていく場にもなっています。高齢化、過疎化、少子化、後継者不足などを含め、様々な影響からこのような村のあり方が今まさに失われようとしています。
私たちはいま、想像を絶する智慧や物語の喪失を目前にしています。

森の集いという地域や生業を越えた緩やかな繋がりが、距離を越えた「ムラ」を形成していると仮定し、その中心にすべての人が「共有できるなにか=鎮守の森」のような存在があり、そこに集う人々が失われつつある智慧や物語をもう一度紡ぎ直すことができるとしたら。

それはこれからの時代を乗り越えるための新しいコミュニティの形なのかもしれません。

「森の集い」と「タネヲマク」

年に二度開かれる森の集いは、ある意味ムラの祭事であり、普段は離れて暮らしている人たちが集まり、実際に顔を合わせ、対話し、理解を深める機会として存在します。これが森の集いを開催する意義のひとつです。

一方でムラの繋がりを維持する「共有できるなにか」に値するのは、持続可能性をもったさまざまな「物語」なのではないかと考えています。それを集め、共有し、これからはじまる日々を浮き彫りにしていくことが森の集いのもうひとつの意義なのだと思います。

図らずも「タネヲマク」に寄稿していただいた玄番真紀子さん、紙英三郎さんともに、日々の暮らしの中に息づく持続可能性について書かれていると感じます。
個人の所有物は個人の命が尽きればともに終わりを迎え、永続性は得られません。しかし個人の所有を離れ共有されているものは、個人の命が尽きたとしても、その時を生きる誰かの力を借りながら永続的に続いていきます。
それが本当の、そして本来の持続可能性なのではないかと思います。

僕は今回のタネヲマクに、徳島県の木頭という地域を訪れ、その場所でずっと受け継がれてきた豆に触れて感じた持続可能性について寄稿させていただきました。
「タネヲマク」はこのようなムラの伝承や物語、歌や詩、智慧や希望のようなものを紡いでいくための冊子であり、だからこそ「共有できるなにか」でありえるのだと思います。冊子に寄稿してくださる方は幅広い分野の方々にお願いしていく予定です。

そしてこれからはじまる「子どもの食べ物から」という取り組みは、人にとっての種、持続していく命の連鎖である「子ども」に辿り着いたということではないでしょうか。

「タネヲマク」の売上から運営される基金は、森の集いの開催や運営、タネヲマクの発行とともに、「子どもの食べ物から」という取り組みを支えていきます。

-森の集い 出口-